CATEGORY:ヒストリカルサバゲー
2013年05月07日
PHS2の報告その2
午後の戦闘中の写真がない・・・・だと・・・・・。
今度から記録係を同行させよう
そういうわけで戦闘中の写真は御座いませんが、報告その2とさせて頂きます。
昼には日本軍の将兵にまかないが振舞われました。
美味かったです。
午前中は海軍衛生兵としてリアルにショーン君をコロしそうになっていましたが、
我慢できなくなったので午後から即コレに着替えてました。
遊んでいたら即席で付けた帽垂布用の糸かがりが切れました。
臨時編成うおぬま奇行師団駐屯地。
そろそろ島垣さんの御宅に挨拶行った方がいいんでないか。
後の学徒は大凹君と供に午前中に大活躍(?)したそうで。
新兵君も楽しんでいらした様子。
栗林中将スタイルの御仁。
様子が良い
集合写真だが余裕で納まりきれていない。
150人のWW2装備の人達が集まったのだ
壮観でございます。
日本軍陣営で30人以上?50人近かったんでしたか?
人数把握していないw
突入前の人々。
昭五式も居ればチェコ機銃、
国民簡易小銃、百式機関短銃、料亭のおねえさんは旗を持って。
此処で、とある日本陸軍小隊長の独白。
その日、私は生き残りの5人の部下が居る戦闘地域へ向けて
移動していた。早く彼らの元へ着きたい。
同郷である彼らと居るとまるで故郷に居るかのようでもあった。
彼らの居るその戦闘地域では各部隊は入り乱れ、
前線将校も中隊長が一名居るばかりと聞いていた。
前線へ就き、同郷の部下達と再開を喜ぶ暇も無く
私は一名の米軍兵士を捕らえた。
その米兵は武装をしておらず、話しぶりからするに
どうやら戦闘中に部隊からはぐれた様子であった。
敵とはいえ戦闘能力の無い状態の彼を斃したり見捨てるわけにも行かず
中隊分部へと連行した。
疲弊しきった米兵に水と休息を与えようと軍医を探していたが
憲兵や他小隊の兵が集まり米兵を尋問しだしたのだ
哀れにも米兵は腕を組み伏せられ
騒ぎを聞きつけた中隊長も加わりその場で
尋問が始まった。
「で、何所の店に行ってるんだ」
「横浜とかそこらへん」
「そうか、俺はこの間上野の店に行ってきたぞ」
「上野もいいよなァ」
と捕虜の尋問は続き
なぜか怒りをあらわにする伍長
他の小隊の下士官であるため戸惑っていたが
彼の所属部隊の中隊長が止めに入る
しかし
驚いた事に中隊長の指示により米兵は跪かされ
米兵の命は軍刀の露と消えるのであった・・・・。
戦場とあっても人としての尊厳はあるはずと考えてはいたが
米兵達の手によって多くの部下が無残にもコロされた事もある
この米兵には申し訳ないが、これも因果応報という事か。
そして尋問の最中の会話に思いをはせる。
そういえば何年も前に女遊びして以来なんもしとらん事を
思い出し同郷の部下から割引券を手にしたのであった。
(大幅に冗談が混ぜてあります)
で、昼休憩後の撮影会にもどる
中隊長指揮下のもと敵陣へ突入を構える
捕虜「え、おれどうすんの」
ロタ砲の直接支援等凄まじいことになっている
将校倶楽部の写真を何枚か。
手前の参謀飾緒を着けた少佐殿は坊暑帽に開襟軍衣
長靴に金属グルメットと何気にすっごい装備をしていらっしゃる。
続く海軍大将閣下は三種士官服に刀帯と拳銃のみとシンプルな出で立ち。
関西のリエナクターの方でして、私のようなにわかヒスサバ野郎が申し訳なく思う
続いては栗林中将を再現されていらっしゃる御仁
坊暑衣も写真資料等から再現したもので軽装の割りにすごい、その、かかってる
装具です。M1911の拳銃嚢も製作されて腰につけておりました。
隣は陸軍中尉殿は兵用軍衣に身を包む意識の高い将校スタイルです
(前線の将校さんたちは狙撃を避けるために兵用服を着ていた例もあるようです)
なので私も(本来は南方での曹長を再現したいがための装備)兵用被服で
やってみました。背低いのに地下足袋なので一層小さくまってます。
奥の海軍中将閣下も大将閣下と同じく海軍三種軍装です。
最終ゲームでは私主催のネタにお付き合い頂きました日本軍将兵の
皆様誠に有難う御座いました。
当日日米供に遊んで頂いたみなさまにも感謝です。
何よりもこのような素晴らしい場を提供して頂いたPHS主催の皆様
誠にありがとう御座います。
それではまたの奇行にお付き合い頂ければ幸いです・
(同じような写真ばっかで申し訳っ。)
(察し)
今度から記録係を同行させよう
そういうわけで戦闘中の写真は御座いませんが、報告その2とさせて頂きます。
昼には日本軍の将兵にまかないが振舞われました。
美味かったです。
午前中は海軍衛生兵としてリアルにショーン君をコロしそうになっていましたが、
我慢できなくなったので午後から即コレに着替えてました。
遊んでいたら即席で付けた帽垂布用の糸かがりが切れました。
臨時編成うおぬま奇行師団駐屯地。
そろそろ島垣さんの御宅に挨拶行った方がいいんでないか。
後の学徒は大凹君と供に午前中に大活躍(?)したそうで。
新兵君も楽しんでいらした様子。
栗林中将スタイルの御仁。
様子が良い
集合写真だが余裕で納まりきれていない。
150人のWW2装備の人達が集まったのだ
壮観でございます。
日本軍陣営で30人以上?50人近かったんでしたか?
人数把握していないw
突入前の人々。
昭五式も居ればチェコ機銃、
国民簡易小銃、百式機関短銃、料亭のおねえさんは旗を持って。
此処で、とある日本陸軍小隊長の独白。
その日、私は生き残りの5人の部下が居る戦闘地域へ向けて
移動していた。早く彼らの元へ着きたい。
同郷である彼らと居るとまるで故郷に居るかのようでもあった。
彼らの居るその戦闘地域では各部隊は入り乱れ、
前線将校も中隊長が一名居るばかりと聞いていた。
前線へ就き、同郷の部下達と再開を喜ぶ暇も無く
私は一名の米軍兵士を捕らえた。
その米兵は武装をしておらず、話しぶりからするに
どうやら戦闘中に部隊からはぐれた様子であった。
敵とはいえ戦闘能力の無い状態の彼を斃したり見捨てるわけにも行かず
中隊分部へと連行した。
疲弊しきった米兵に水と休息を与えようと軍医を探していたが
憲兵や他小隊の兵が集まり米兵を尋問しだしたのだ
哀れにも米兵は腕を組み伏せられ
騒ぎを聞きつけた中隊長も加わりその場で
尋問が始まった。
「で、何所の店に行ってるんだ」
「横浜とかそこらへん」
「そうか、俺はこの間上野の店に行ってきたぞ」
「上野もいいよなァ」
と捕虜の尋問は続き
なぜか怒りをあらわにする伍長
他の小隊の下士官であるため戸惑っていたが
彼の所属部隊の中隊長が止めに入る
しかし
驚いた事に中隊長の指示により米兵は跪かされ
米兵の命は軍刀の露と消えるのであった・・・・。
戦場とあっても人としての尊厳はあるはずと考えてはいたが
米兵達の手によって多くの部下が無残にもコロされた事もある
この米兵には申し訳ないが、これも因果応報という事か。
そして尋問の最中の会話に思いをはせる。
そういえば何年も前に女遊びして以来なんもしとらん事を
思い出し同郷の部下から割引券を手にしたのであった。
(大幅に冗談が混ぜてあります)
で、昼休憩後の撮影会にもどる
中隊長指揮下のもと敵陣へ突入を構える
捕虜「え、おれどうすんの」
ロタ砲の直接支援等凄まじいことになっている
将校倶楽部の写真を何枚か。
手前の参謀飾緒を着けた少佐殿は坊暑帽に開襟軍衣
長靴に金属グルメットと何気にすっごい装備をしていらっしゃる。
続く海軍大将閣下は三種士官服に刀帯と拳銃のみとシンプルな出で立ち。
関西のリエナクターの方でして、私のようなにわかヒスサバ野郎が申し訳なく思う
続いては栗林中将を再現されていらっしゃる御仁
坊暑衣も写真資料等から再現したもので軽装の割りにすごい、その、かかってる
装具です。M1911の拳銃嚢も製作されて腰につけておりました。
隣は陸軍中尉殿は兵用軍衣に身を包む意識の高い将校スタイルです
(前線の将校さんたちは狙撃を避けるために兵用服を着ていた例もあるようです)
なので私も(本来は南方での曹長を再現したいがための装備)兵用被服で
やってみました。背低いのに地下足袋なので一層小さくまってます。
奥の海軍中将閣下も大将閣下と同じく海軍三種軍装です。
最終ゲームでは私主催のネタにお付き合い頂きました日本軍将兵の
皆様誠に有難う御座いました。
当日日米供に遊んで頂いたみなさまにも感謝です。
何よりもこのような素晴らしい場を提供して頂いたPHS主催の皆様
誠にありがとう御座います。
それではまたの奇行にお付き合い頂ければ幸いです・
(同じような写真ばっかで申し訳っ。)
(察し)
第四回 新潟ヒストリカル 写真 そのに
第四回 新潟ヒストリカル 写真。。
第四回 新潟ヒストリカル 7月23日(前夜祭)24日 開催。。!
第四回 新潟ヒストリカル(6月7日 追記)
昨年の最終サバゲ&本年の初サバゲ
第二回 かめナベ会 参加しました。
第四回 新潟ヒストリカル 写真。。
第四回 新潟ヒストリカル 7月23日(前夜祭)24日 開催。。!
第四回 新潟ヒストリカル(6月7日 追記)
昨年の最終サバゲ&本年の初サバゲ
第二回 かめナベ会 参加しました。
現地ではご一党様に色々と絡んでいただいて愉しませていただきました。
また何処かの戦場でお会いできる事を楽しみにいたしております。
そのときは果たして、敵か? 味方か?
(^o^)/
改めて感じた米軍の火力…
日本軍重武装化計画発動だな。
やはり時代はフルオート種子島…
もスカート連隊旗…
当日はありがとうございました
基本的に私達は日本メインでやっていますのですが
海兵の仲間達共々宜しくどうぞ。
先詰め式万歳さん>
お疲れさます
火力もそうだが、戦術もアレだわな。
まあユルヒスサバじゃけんそこらも
含めて遊んで楽しければいいんじゃあ。
またどこかで会えたらまた海兵で一緒に戦いましょう^_^
毎度捕虜協力ありがとうございます。
新潟にも来てみませんか、と言ってみます。